わたなべ由紀子の「Yuki’s Choice (ユキズ・チョイス)」

〜アラフォーからの挑戦・もうひとつの人生を選択してみた〜 フィッティングモデル事務所 YUKI model agency (ユキモデルエージェンシー) 代表 わたなべ由紀子のブログ

マレーシア転職日記2「カスタマーサービスの頂点に、リベンジします!」

さぁ再び、インタビューを受ける為に都会(KL)に出てきました。前回のようなヘマをするワケにはいきません!完全に日本語で面接が進む中、英語で自己紹介をさせていただけるようお願いします。

以前、英語ネイティブの友人に頼んで、チャンカットの飲み屋で何度も練り直し、覚えた自己紹介です。ぜひ披露したい。もちろんします!インタビュー終了後、彼女から優しい笑顔で「なぜ英語で自己紹介しようと思ったの?」と聞かれます。

前回、別部署のインタビューの際に、通訳の方がいらして、その方に甘えてしまったことを、とても反省している旨をお伝えしました。すると「そんなことがあったのね。気にしなくて良かったのに...そうだったのね。」と、ここで一次面接は合格。あぁ...よかった。

後日、電話面接となりました。日本側との1時間以上に及ぶインタビュー。

結果、落ちました。

現職を半年で辞めることが問題になったそうです。「聞いてくだされば...」と思いましたが、通院のために都会に出たかった...とは言い出しづらいですし、マレーシアでは試用期間中に辞めることも珍しいことではないのです。実際、書類の時点で落ちていませんからね。しかしながら日本企業側からすると、やっぱり印象が悪いですね。

聞かれてもいないことをどう言えば良かったのでしょう。ここも併せてスキルチェックなのでしょうか。自然な感じだと、旦那の転勤とか...?旦那いませんが笑。

本来マレーシア内でのインタビューのはずが当日になって、日本側に変わったとのこと。まさかの展開だったそうです・・・

紹介してくださった方と先輩には、大変申し訳ないことをしてしまいましたが、後日お会いした時「手術を受けることにしたのなら、これで良かったのよ!」と言ってくださいました。

ご縁が無かったのかな...自分のスキルでは太刀打ちできませんでした。今後はカスタマーとして大切にしてもらいます笑

その後日本で手術を受けました。

こちらの会社の採用担当の方は、私の経歴をとても気に入ってくださり「まだ仕事探してる?ここの部署も募集あるよ!」「今もマレーシアにいる?ここなんかどう?」「新しい募集が出たから、ここ受けてみない?」と、私の力不足を全く気にも止めず、ことあるごとに連絡をくれます。「日本で別の仕事をしてますよ」とお答えしているのですが...つい先日もご連絡いただきました笑。

彼女は日本に来たこともあり、懐かしく思うであろう、新年の銀座の写真を送りました。

f:id:watashimesen:20220129125911j:image

これだけ月日が流れても近況報告ができたり、お互いの健康を祈るようなやりとりができることは嬉しいですね。

マレーシア転職日記2「病んでなんていられない。次に目指すは、カスタマーサービスの頂点!」

遡ること、部署移動の話が白紙になった時「通院と投薬で何とかならないか...」と本気で悩みます。都会に住んで勤めれば、通院は可能です。

そんな時、思いがけず、カスタマーサービスの頂点...耳にはしていたし、いずれは行けたらと憧れていた企業への転職チャンスを、前職のお仲間からいただきます。

日本のコールセンターで、カスタマーサービス歴5年。テレビCMが流れると一斉に着信する、オペレーター40人の、チームリーダー業務も経験しました。

夢の国と呼ばれる某テーマパークの「お客様相談室」契約期間1年で「ファイブスターカード」を3回いただいたこともあります。マレーシアに、このカードを貰った経験のある人は、2人しかいませんよ。恐らく笑

この経験が、いよいよ本当の意味で、お役に立てる時が来た...と思いました。

インタビューは、都会のその会社へ直接伺いました。通訳の方まで用意して迎えてくださいました。ところが、私はその「通訳さん」の存在に安心してしまいます。

落とされます。

先方の言うことには「自己紹介ぐらい英語でして欲しかった。それぐらいの意気込みが欲しかった。」

f:id:watashimesen:20220126153644j:image

あぁそんな。練習はしていたのに...猛反省。思いもしなかったということと「言ってくだされば...」という思いと、そこに気づけない自分の未熟さに、がっかりします。

いろいろ考えましたが、正解としては...

「通訳の方をご用意くださったことに感謝申し上げます。しかしながら、ここはマレーシアです。海外で働くのですから、差し支えなければ、自己紹介は英語でさせていただいても宜しいでしょうか...」と、私から言い出せば良かったのでしょう...きっと。

せっかくの機会を活かせなかった。落ち込みます。「思ったより、おばさんだったから落とした。」とか言ってくれた方がまだ諦めもつきます。うぅ...

そんな私の状況を心配して、あの教育係をしてくれて、前職のリファレンスチェックも受けてくださった先輩が、ご自身の親友に相談してくださいました。その方から、今度は別部署のインタビューを受ける機会をいただきます。カスタマーサービスの頂点へ、リベンジします!

※カスタマーサービスの頂点という表現は、私にとって憧れの表れです笑。

マレーシア就職日記2「またもやトレードのご提案。懲りずにまた乗ろうとします笑」

インタビューをしてくれたマネージャーが、この時期、ちょいちょい私の席に来て「うちのチームに移動しないか。全部日本語だよ!」と声をかけてくれます。そしてチーム内で結婚した人がいるので、そのどちらかのかたと、私をトレードしたいと。チームリーダーから「どうしますか?」と確認されました。

そちらは、激務で有名になってしまったアカウントでしたが、午後出勤や平日休みのある、シフト制の部署なので、都会への通院もできます。これ幸いと、私からも「移動したいです!」と申し出ます。そちらのチームリーダーとの面談で、今では人数も多いので、わからないことを聞ける環境だと伺い安心し、前職のお仲間もいらしたので、喜んで移動を待ち侘びます笑

ところが、最後にはリーダーから「我儘は通らないんですよ!」と言われてしまいます。やっぱりそう簡単にはいかないのですね...移動の話は白紙に戻ります。増員の話も、浮かんでは消えて、また浮かんでは消えます...

f:id:watashimesen:20220126150426j:image

都会(KL)の病院にかかること2軒目で、これは手術になるとのこと。言葉が心配ならば、日本で受けた方が良いと。このままでは、いずれにせよ手術になるよと...

リーダーを通して今のチームのマネージャーと話をすると「いつ業務に戻れるのか。」と確認されます。「それはすぐにはまだわかりません...」私のmc(病欠のために病院からもらう証明書)の紙をクシャッとして「だったらもう退職した方が良い。次就職するときは力になるから、そうしなさい。」と諭されます。そりゃそうだ。

「あぁ、試用期間中で良かった!本採用になってから、迷惑をかけることにならなくて良かった。」その時はそう思いました。

そして私の退職も決まり、やっとマレー人男性が、他部署から移動して来たのちに、リーダーと私は同日に退職。

2年分の就労ビザと、新品で受け取った最新ノートPCとのお別れが辛かったです。

試用期間中の退職ということで、ペナルティも発生せず、タックスクリアランスを済ませ、またもや猫を預かってもらい日本に帰ります。

「また戻るから良いよ。」と言ったのにも関わらず、前職のお仲間が、空港でご飯を一緒に食べて見送ってくれました。予想通りというか、やっぱり泣きました...笑

ちなみにボンビーガールのお二人はもうとっくに退職され、あのインタビューのタイミングで、お会いできて本当に良かったと思います。全力のお礼スピーチのあと「なんか責任感じちゃう!笑」と仰い、私の採用に際してご尽力いただいたことに、とても感謝しています。

マレーシア就職日記2「またもや皆辞めていく。増員も無いまま、私もまさかの、、、」

今度の会社での日本語対応チームは私を入れて5人。インタビュー時のリーダーが退職して、オペレーターから繰り上がった日本人の『チームリーダー』と『先輩』(おふたりとも男性、前回と同じ年齢、ものすごくお世話になります。)

そして、日本語をとてもキレイにお話しになり、メールも完璧な『マレー人のおふたり』

さらに、インタビュー時にケーキを用意してくれた『日本語完全NGのマネージャー』です。

ところが、この後すぐにマレー人のおふたりは、それぞれ「退職」と「産休」に、、、マネージャーも変わります。残っているのは日本人3人です。

初めにリーダーからの丁寧な研修。先輩がつきっきりでみてくれた、業務デビュー前のコールのテストと進んでゆきます。チャイニーズニューイヤーに差し掛かる為、QAさんも休みに入ります。その為、予定より2週間も早くテストを受け、コールデビューしました。

今回は、チケットシステムも、2次受けも全て英語。先輩から『訳の分からない英文でチケットをあげると「訳がわからない」と普通に返されますから気をつけてください!』と言われて、気も引き締まります。リーダーから私に「Google翻訳使用禁止令」が出てピンチ!こっそり使います笑

コールとメールは日本語対応。広く浅い日本側のマニュアルと、先輩お手製の資料、蓄積された過去の対応履歴に助けられます。QAさんからの評価は常に満点。あとは英語をさらに学び、経験を積んでいく、、、はずでした。

先輩が留守番してくれるとのことで、ゴールデンウィークはハワイと日本で過ごし、そろそろ研修期間終了の半年を迎える頃、事件は起きます。

f:id:watashimesen:20220126003203j:image

チームリーダーが突然「退職の意」を表明!ゴールデンウィーク中に決断したらしいのです...

増員予定の無いまま、残された先輩はリーダー業務を引き継ぎます。ご自身の業務でいっぱいいっぱい。私にかまう余裕なんてありません。私も、英語力がまだまだです。ひとりになる時間帯は泣きそう。もう帰れません、、、

「またこんなことになるのか、、、」と思っていたら、なんだか連日体調が悪く、何も手につかない。とにかく体調が悪くてどうしようもない日が続きます。

あとでわかったことですが、胆嚢が悲鳴をあげていました。あぁ...

マレーシア転職日記「テレビで観た彼女達に会えた喜びも束の間、今度はイミグレで通してもらえない、、、」

イミグレのオフィスには、異国からの出稼ぎで来たと思われる数名が、係員に付き添われて座っています。なんとなく不安になりながらも、呼ばれてカウンターで説明すると、オファーレターに記載された会社の電話番号にかけるよう、確認を求められます。しかし、この番号は使われていませんでした。がーん。

ここで、ミスってしまうと携帯電話を取り上げられて、牢屋に入れられて日本に強制送還されます。実際に身近な人が、この経験をしているので、いきなり頭の中はパニックになります。「落ち着いて、落ち着いて。誰か他に会社で連絡を取れる人はいない?」と聞いてくれます。そこで、インタビューしてくれたリーダーを思い出し、事前に連絡を取り合っていた携帯番号に電話をかけてみます。すると、なんとすでに退職したとのことでしたが、会社の人に繋いでくれるとのこと。

次に、私の今のビザの取得状況について確認が必要だと、手続きをしてくれている会社に確認を求められます。電話口でもう怖くなって涙声になっている私に、手続きの会社の女性は「大丈夫よ。大丈夫。」となだめてくれました。時間はかかりましたが、これも無事確認が取れ、パスポートにスタンプが押されました。(ここまでリーダーとの会話以外全部英語です。ちょっとは成長したでしょ笑)

すでに2時間が経っていました。

迎えを待つトランク達はひとまとめに置かれていました。

f:id:watashimesen:20220117054234j:plain

さて、今回なぜこんなことになったのか、、、。

私が日本に帰っている間に入国の制度が変わっていました。事前にマレーシア大使館で手続きが必要だったのです。それを知らない私は、そのまま来てしまいました。ちょうど制度の変わり目で、情報が錯綜していた時期です。ですから「今回入国できても、再入国が必要になるかもしれない。」と言われました。

ひとまず、入国できてよかったとホッとします。

その後、日本に戻ることなくビザが降り、出社の日を迎えます。カテゴリー1の2年有効ビザ。就労ビザでは最高のものです。嬉しくてたまりませんでした。

外国で働く人間にとってビザは、空気と同じくらい大切なものですから、、、ね。はぁ...焦りました。

マレーシア転職日記「インタビューは誕生日。なんとケーキを用意してくれた」

転職先のインタビューは直接お伺いすることになりました。

日本語の筆記試験、電話対応スキルチェック、チームリーダー面接(日本語)、スピーチ、マネージャー面接(英語)と進みます。

この時、私をオフィスの入り口まで迎えに来てくれたのは、あのテレビで見た彼女でした!

何も知らされていなかった私は、あまりの感動に震えます。マレーシアに来て1年、あのお会いしたかった彼女が目の前にいる・・・もうそれだけで、お礼を伝えられるだけで、今日は充分だと思いました笑

来馬理由を私が散々周りに言っていたせいで、もちろん知っていたそうです笑

スピーチではお題が選べたので、おふたりに私の人生を変えてくださったお礼を存分にお伝えすることができました笑

そしてこの日は私の誕生日。

マネージャーはケーキを用意してくださり、持って帰って食べなさいと。なんて素敵な計らい。

本当に幸せな訪問となりました。

リファレンスチェックは、私の知らないうちに先輩が引き受けてくれていました。先輩もこちらの会社から何度も声がかかっていたそうです。

その後、英語がからきしダメなので、努力することを前提に私の採用が決まりました。前の会社を退職後一度日本に戻り、オファーレターを手にまた入国します。今まではこれで入国できるはずでした。

f:id:watashimesen:20220117054606j:plain

今回はシンガポールで乗り継ぎとなり、ゆっくりとカフェでお茶を飲みながら、無事入国できることを祈ります。が、イミグレ(入国審査)で捕まります。

オファーレターを見せても「あなた英語できるの?オフィスに行って!」と通してくれません。イミグレは当たり外れが大きく、女性の審査官に当たると厳しいとは聞いていましたが、本当にその通りでした。別の列に並び直してみればよかったのですが、私に非は無いと思い、素直にオフィスへ向かいます。

滞馬日記「テレビで観たあのコンドミニアムに住むことに」

初代リーダーが退職する際に、ご自身の住んでいた部屋を引き続き借りてくれないかという話しがありました。

リーダーは私がテレビで観たレジデンスに住んでいらっしゃるのです。

「ボンビーガールを観て来たのだから、やはりここに住むべきだ」と...笑

「猫も恐らく大丈夫だろう」と。

寮から歩くより半分の距離と時間で済みます。ただ私はルームシェアも考えていたので、ものすごく悩みました。

リーダーからすれば、私がそのまま借りれば、オーナーから2ヶ月分の家賃が戻ってきます。そして、ご自身で霜取りに失敗し、壊してしまった冷蔵庫も私が買い直すことで解決する。とにかく冷蔵庫を買うように言われ、私の退去時にオーナーに請求すれば良いと言われましたが、請求することはありませんでした。もういいです。。。

なんだかんだで見に行くと、あのテレビで観たプールが広がり、本当にここに住むことになるのかと感動すら覚えました。

f:id:watashimesen:20220115213424j:plain

リーダーの退去後、オーナーから鍵をもらい、いよいよ新生活が始まります。部屋のクリーニング代は私に請求されました。希望しなければクリーニングを入れなかったようです。

まずは猫。

部屋に入ってすぐ窓に向かってダッシュ。

studioタイプ(ワンルーム)なので、猫からすれば常に私の姿が見えて安心。気に入ったようでよかったです。

お隣がわんこを飼い始め、まるで恋しているかのように、毎朝窓からお互いを見つめあっている姿は可愛らしかったです。のちに猫はケタケタ言うようになったので、わんこを獲物として認識していたのかもしれませんが...笑

f:id:watashimesen:20220115214258j:plain

さて、この部屋は2020年の年末まで借り続けます。プトラジャヤビューでアイアンモスクが見えて、特に夜は素晴らしい眺めでした。

マレーシアあるあると言われる、あらゆるトラブルもひと通り経験し、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなりました笑

リーダーは私に「あなたがリーダーになるまで頑張ってください。もう連絡はしてこないでください。」と言ってマレーシアを去っていきました。皆で行こうと言っていた見送りは断られました。カッコつけすぎです笑